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17 May

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14 August

八月十三日

▼世間はお盆だが、帰省していない。残念なことにお盆休みはなく、一昨日と今日の日祝が休みだったので連休ですらない。いや、別に連休がないことに不満はないのだけど、私の実家は福井県なので電車を乗り継いで都合5時間ほどかかる。朝に出ても昼過ぎに着くので、実家に帰るには三連休は欲しい。そんなことを思いながら、涼しい部屋で甲子園を観ながら公演の準備に勤しむのだ。
▼気がつけば「月が惑星」の本番まで1ヶ月を切った。きっとそろそろ来月の予定を立て始めるだろうと思うので、何かそのキッカケになれるようなことを書こうと思う。あいも変わらず文章だけで進むし、内容もちょっとクドくもあるがよければお付き合い下さい。さあて、問題は何を書くかなのだけれど、まずはちょっとした昔話をしよう。
▼昔といっても数年前の話だが、私は公演直前に公演の見所などについてインタビュー的なものを受けたことがあった。その時、「どんな人に見て欲しいか」という質問を受けて、言葉に詰まったことがある。どんな人と言われても、こちらは観に来てくれる方を取捨選択する権利は無く、どんな人にも観に来て欲しいと思ったのだ。だから言葉に詰まった。それはそれで間違いでは無いが、この質問の真意はそこには無いと今では思っている。
▼「月が惑星」の物語は家族の物語である。親がいて、子どもがいる。そして、ありがちなテーマであるが「自立」というのが大きな軸になっている。主人公の年齢は23歳だ。大学を出て、働き始めたばかりである。私は今26歳だが、ここまで生きてきて、高校入学(この時に問われるのはむしろ「自律」のように思う)と、高校卒業、成人式などの節目で問われる「自立」、そして就職以降で問われるソレとは意味合いが異なると思ったのが、全ての始まりだ。そして20代で問われる
この問題は10代で問われるものより、ちょいと複雑であり個々人によってバラバラだとも思う。そして、そんな中の一破片を物語として仕立て上げたのが「月が惑星」なのだ。
▼さて、今回の物語の骨子について語ったところで、私がこの物語を「どんな人に見て欲しいか」という問いに戻ろう。答えはいくつもある。まずは何より私と同じ20代の人に見て欲しい。主人公と同じではなくとも、似たような葛藤を持ったこと、持ちうる可能性がある人は多いと思う。是非、主人公の目線になって見て欲しい。それから、これから20代になる10代の方にも見て欲しい。私が10代の頃にはカケラも悩まなかったことで主人公は悩んでいる。そして、この物語は親と子どもをめぐる話だと言った。つまり、主人公の親がもう1人の主人公たりうる存在として登場する。だから、20代の子を持つ親世代である40〜50代の方にも見て欲しい。間が抜けたが、30代の方にもモチロン見て欲しい。20代の葛藤を経たからこそ見えてくるものがあるかもしれない。私にはまだ見えない景色が見えたのなら、是非私に教えて欲しいとも思う。60代以降の方にも見て欲しい。前回も触れたが、この10年で家族の形態は変化している。現代家族と私が評しているその構造を是非とも楽しんで欲しい。現代の選択肢は多様なので、人の親にならない選択をしている人も多いと思う。そんな方にも見て欲しい。親と子という関係を超えて、私は「月が惑星」というタイトルを呼称するに相応しいテーマを物語に与えた。それは普遍的なものであると信じている。その点を是非とも楽しんでもらいたい。
▼長々と書いた上に問いの前に戻るが、つまりはどんな人にも見て欲しいのだ。しかし、見る人の年齢や立場によって、この物語の見え方はバラバラになるだろう。人によっては誇張されたフィクションに見えるかもしれないし、またある人にとってはドキュメンタリーに見えるかもしれない。そんな可能性を秘めているからこそ、この物語は魅力があると思う。
▼ここまで読んでくれてありがとうございます。この記事にどこかしらで共感なり反感を抱いていただけたのなら、是非とも9月8日〜10日に「月が惑星」を上演しますので足をお運びいただけたら幸いです。予約フォームは下記に。それでは、会場でお会いしましょう。

▼予約はこちら
https://form1ssl.fc2.com/form/?id=21725381649c5c16&viewmode=pc

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02 August

八月二日

まえがき。

▼二日前の七月三十一日。舞台屋織田組(以下、織田組)の脚本・演出をなさっているホシバさんが来年春に新潟をはなれることを自身のブログで宣言した。その内容については下記のリンクから読んでほしい。

HOSHIBA製作所「旅の彼方へ。」
http://hossyblog.exblog.jp/25129405/

 この記事の中で、ありがたいことに私の名前が出てくる。活躍が目覚ましい織田組の脚本・演出家に評価していただけることは嬉しいが、この記事の読者が「杉ちゃんって誰だ?」と思った人もいるだろうなと苦笑した。
 私と織田組、かつホシバさんとは私事。旗揚げ前、2010年冬からのご縁になる。6年前だ。なので、私事。の杉谷というより私個人としての関わりが深く、この記事に思うことも色々とあるので整理と思い出話も含めてこのブログをしたためる。もし、あなたが新潟の演劇を楽しんでくれているなら、舞台裏の人間模様の一側面としてこれも楽しんでくれたらと思う。あまり推敲する気がないので、誤字脱字は許してほしい。あと、記事の中で織田組の公演がいくつか出てくるが、それは下記の織田組HPのヒストリーを見てくれると分かりやすいと思う。

舞台屋織田組HP「舞台屋織田組History」
http://odagumi.web.fc2.com/history.htm

では、ホシバさん本人には許可を取ってので心置きなく書くぞ。

始まりの話。

▼先ほども言った通り、出会いは2010年冬である。この翌年の2011年春に新潟演劇では大きなイベントが初開催された。りゅーとぴあ主催の「芸術のミナト☆新潟演劇祭」である。これに私は当時の所属である新潟大学演劇研究部として参加し、織田組もまた参加したのが始まりである。このイベント期間中にも色々とエピソードはあるが、割愛する。この打上げの席で、私はホシバさんオダさんイシガミさんと仲良くなった。私はこの時の公演で演出をしていたが、定期公演では音響を主にやっていた。その話をすると、「織田組の次の公演で音響をやってくれくれないか」とお誘い頂いた。これが始まりである。そして、そのお誘いを受け織田組の公演に初参加したのが2011年12月「クリスマス・キャロル」である。
▼これ以降、何度かホシバさんの脚本に触れる機会があるのだが、総じて私はホシバさんの脚本と相性がいいと思っている。音響として読むのだが、脚本を読んで音響プランを提示すると概ねホシバさんのイメージに近いものをあげられたみたいだった。初のプラン合わせは新潟大学近くのガストだったが、好評を得られたことを嬉しく思った記憶がある。
 ちなみに蛇足だが、私の音響プランは私事。の脚本とは相性が悪い。私事。の公演での選曲などはほとんど私は関わっていない。変な話だ。


文学作品協定。

▼「クリスマス・キャロル」を終え、その年があけた2012年2月に劇団私事。が旗揚げされる。そして、2012年の8月に織田組番外公演「Beginningービギニングー」(以下、ビギニング)と翌月9月に私事。「則天八転―ソクテンバッテンー」(以下、ソッテン)が行われる。この二つの公演は私にとって大きな出来事となった。
 ソッテンは私の初脚本作品である。夏目漱石「こころ」を土台に置いた、大学生の三角関係の物語だった。そして、ビギニングはアイドルをめぐる物語なのだが、劇中に夏目漱石「こころ」が登場する。公演日時が織田組の方が先のため、観劇しに行った私は冷や汗をかいた。モチーフが被ったのである。ソッテンを観たホシバさんも苦笑いしたことだろう。そして、この公演を期にして、私とホシバさんの間では文学作品協定が取り交わされた。(この名前は私が今、勝手につけた。)今後脚本を書く際に、文学作品を用いる場合には事前に報告しようというものである。ホシバさんは歴史に強く私は文学に寄っていたので、どうしても被る部分が出てくることを危惧しての協定だった。
 ソッテンの後、2013年に私事。は太宰治の「お伽草紙」を用いた「御伽草紙ー浦島さん・カチカチ山ー」を、織田組は泉鏡花の「草迷宮」を舞台化している。この辺で、私とホシバさんの間では文学作品を扱う劇団として互いに意識していただろう。


2週間の戦い。

▼「草迷宮」の次は2014年5月の「ジュウベイ!地の章」だ。この時も音響をお願いされたのだが、私事。の公演が入る予定だったので断った。(実際はうまく調整がつかず11月になった。)そして、本番2週間前になったころ、ホシバさんから連絡が入った。「映写をやってくれ」と。
 作業としては、音楽に合わせて映写機をスクリーンに映るようにし、パワーポイントをクリックするだけのお仕事だった。この時には私事。の公演が秋になることが分かっていたので、引き受けた。そして、脚本とパワーポイントのファイル、音楽を受け取りに稽古場にお邪魔したのだが、それらと一緒に渡された指示書が面白かった。歌詞とパワポの演出のようなものがかかれていたのだが、全て手書きで走り書きのようなものだった。私は笑って「暗号かな?」と言った気がする。その時は稽古も佳境で私に割く時間も無さそうだったので、「読解しておきます」といって引き揚げた。そして数日後、再び稽古場に訪れ、ホシバさんに読解の結果として、音楽に合わせながらパワポを動かした。するとホシバさんは「正解!完璧!」と言ってくれた。この時は流石にどや顔を隠せなかった。そんなやり取りだったので、2週間前からの参加だったが何とかなるだろうと思っていた。しかし、これが思った以上にしんどい仕事だった。
 織田組の舞台装置を活かした演出はひとつの魅力であることは、観たことのある人なら分かってくれると思う。そして、この「ジュウベイ!」もその類を外れない。私が頼まれた映写は、開始15分後くらいにあるオープニングシーンなのだが、それまで舞台には映写用の幕が張られていて、オープニングを経て幕は落とされる。いわいる落ち物系の演出だ。やったことのある人なら分かると思うが、落ち物系はプリセットに時間がかかる。そう何度もできない。実際に、この時もテクリハ2回、ゲネで1回で本番を迎えた。音楽に合わせて練習することは何度でもできるが、落ちる幕と合わせるのは限られていた。その時に私が失敗すれば、映写のために幕をあげなおすことになる。こんなに胃が痛くなる仕事もないなと、当時の私は思っていた。――とは言っても、細かいミスはあれど、本番含め無事全て成功したので本当によかった。しかし、次に同じ依頼が来たら二つ返事で受けるのはやめようと思った出来事である。濃密な2週間だった。

 
短刀が落ちる音。

▼ホシバさんが自身最高の出来と仰っている「真贋・四谷怪談」に、私は音響として参加している。先述の通り、プランに関しては問題なかったのだが選曲に苦労した。私は和モノに引き出しは無いので、とっかかりがつかめず選曲の部分でホシバさんに大きく頼った。その分、効果音に尽力した。物語の最後に、お岩が持っていた短刀を落とす。それは舞台が暗転した後の出来事なのだが、全ての最後となるこの音に、ホシバさんはこだわっていた。モチロン私もそのこだわりに共感した。だから、できる限り理想に近づけようと探したが、これがなかなか見つからない。私の頭の中にもホシバさんの頭の中にも、同じ短刀が落ちる音が鳴っているのだが、それと同じものが無いのである。これには大変苦労した。一度妥協も提案したが、却下された。本番も近づいており、時間的な猶予も無かったので必死に解答を模索した。そして、見つけたのだ。どうやって見つけたかは秘密にするが、ホシバさんにその方法を伝えたとき驚いていた。これには満足してくれたようで、終演後のブログでも触れてくれている。スタッフ冥利につきた公演だった。

2015年8月25日「真贋・四谷怪談 終演」
http://hossyblog.exblog.jp/22075691/

それから。

▼「真贋・四谷怪談」以降は私は参加していない。それは単純にスケジュールや、足が無い問題によるのものだから深い意味は無い。それでも、織田組の公演が決まる度に声をかけてくれるので、ホシバさんが私を評価してくれているのだと感じ、嬉しくもあるが申し訳なくもあった。そして、今回のホシバさんの帰郷宣言である。
 事前に報告してもらってはいたので驚きはなかったが、やはり何かくるものはある。私も新潟出身ではないので、重なる部分は多い。続けることの難しさながら、引き際を決めるのもまた難しい。私はまだ20代なのでまだ遠い未来のように思っているが、その日は突然やってくるだろう。後悔のないように、私はこれからも私の芝居を作る。
▼これで話がまとまっているか判断はつかないが、私のホシバさんとのエピソードは大体書いた。これを私が書いて、あなたが読んで、何が生まれるか分からない。しかし、多面的な人間模様こそホシバさんの得意とする脚本だと思うので、そのように思って楽しんでいただけたらと思う。歴史劇に限らず、今を生きる人間にも歴史があり、思いがあるのだ。



 さて、ホシバさんにこれを書いていい?と聞いた時に「楽しみにしてる」と言われたけど、こんなもんでいいですかね?まあ、新潟を離れてもまた戻ってくると思ってるので、辛気臭いのは無しでお願いします。あと「太宰、その最後の愛人」のおかげで太宰作品が当分やりずらくなったので、大きな置き土産をくれましたねと思ってます。改めて、演劇大賞おめでとうございました!
23 July

七月二十三日

一昨日の稽古の話。

▼一昨日の稽古の話である。この日は事前に集まれる役者の人数が少なく、参加者も遅くなると分かっていて、稽古が始まるまでゆったりとした日だった。紹介は先送りにするが、実は前回公演「トんだ未来」後に劇団員がひとり増えており、彼(新メンバーは男性)が比較的早く稽古場に来たので2人でゆっくりと話していた。彼はこれまでの新メンバーとは一風変わっていて、劇団に入るにあたって一番やってみたいことを聞いたのだが、彼は「脚本を書いてみたい」と答えた。これまでの私事。は、旗揚げを除いて私の脚本を上演してきた。そんな劇団に入団した彼が、今後どのような活躍を見せるかをこっそり気にしてほしい。第九回では発揮されないが、次回以降で何かしらの形であなたの前に現れるに違いない。――と、話が逸れたが、そんな彼と脚本創作についてあれやこれやと話した。あまり他の脚本家と話す機会はないので、非常に新鮮である。また別の日の話だが、彼の書いた脚本を読んだ劇団員が「とても演劇的」と評していた。逆に、私の脚本は「ドラマ的」と言っていた。その言葉の含意についてはさらりとしか掘り下げなかったが、脚本を相対的に評価される機会も滅多にないのでコレも新鮮だった。
▼そうこうしているうちに役者が集まり、稽古が始まった。少人数なこともあり、少し掘り下げた稽古になったと思う。また、今回の脚本が成立する前提について話した。私はtwitter等で「月が惑星」について、"現代家族"をテーマにしたものだと言っている。では、"現代家族"とは何か。語るに落ちるのは嫌なので限られた表現を使うが、今回の物語に登場する家族は2010年代だからこその存在だと思っている。是非、その点を注目してほしい。決して普遍的な家族ではないが、きっとそこには不変的な意味があると信じている。
▼稽古終わりには、えべっち(劇団外では部長と親しまれている。「トんだ未来」の影響だね。)と来月閉店するラーメン屋に行ってきた。私が大学一年時に先輩に連れられてから、かれこれ8年経つ。泣くほど思い出深くはないが、初めて食べたときは翌日に腹を壊した。

そして、今日の話。

▼今日は仕事も稽古も無いので自由な一日だった。午前中に家事を済ませ、ニチアサを楽しみながら10:30からの将棋フォーカスを観る。テレビを見ながらabemaTVで藤井四段の対局の再放送を見つつ、将棋の勉強をしていた。今、書いていて思ったが傍から見れば異常な光景だ。午後からはえべっちと観劇をして、サイゼリヤに移動しドリンクバーと甘いものを楽しみながら感想などを述べる。そこから自分たちの芝居の話へ発展するのだが、彼はとても実直に話を聞く。こちらが適当に言っていることまで真剣な眼差しを向けるので、たまに申し訳なくなる。その後は、2人でスマホゲームをして解散した。新潟駅に送ってもらい、ジュンク堂に寄って将棋の本を数冊購入。帰宅して晩飯などをして、劇団員にメールを送ったり、音響の作業などをしてこうしてブログにまで手を付けている。充実した一日だ。他にも色々書きたいことはあるが、そうこうしてるうちに腕を切られてしまったので、今日はこれでやめにしよう。