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17 May

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29 May

五月二十九日

▼今日は劇団私事。と同じく、新潟市で活動するY2工房さんの稽古場にお邪魔してきた。というのも、ただただ遊びにいったのではなく、これには前段がある。数か月前のことだが、私事。の公演を企画している段階で、創作表現集団D-Soulさんと僕が脚本を提供したみっくすじゅ~す倶楽部さん含め、万代市民会館で日々稽古に励んでいる4団体の公演が6月中に重なってしまった。なので、少しでもより多くの人に観に来てもらうキッカケ作りとして協力できないかと言う話になり、互いの稽古場に遊びに行って宣伝をしようということになったのだ。そして、その4団体で先頭打者となるY2工房さんの公演『嘘で本当の友情と3人の悪』が来週末(6月9日~10日)に迫っているので、こうして私事。のすぎたにのブログを読んでくれる方に、少しでもY2工房さんの公演に足を運ぶ一助となれるようブログをしたためるのである。また、きっとtwitterなどからY2工房さんのファンの方がここにたどり着く可能性もあるので、そういう方はこの日記が面白いと思ったなら是非、今月末の劇団私事。の公演も観に来てほしい。前置きが長くなったが、それでは始めよう。
▼私はY2工房さんのお芝居は観たことがあるが、稽古場にお邪魔するのは初めてだった。私事。のやぎぬまが過去に客演したり、代表の樋口さんには何かと気を遣って頂いているので、ご縁はもともとあったのだが、こうして稽古場に入るのはいささか緊張した。しかし、その緊張をよそにY2工房のみなさまは温かく迎え入れて下さり、恐縮しながら邪魔にならないよう壁際に腰かけた。稽古をつけているシーンはどう見てもクライマックス付近で、役者の方たちからも気合と熱が伝わってくる。
▼当たり前のことを書いて申し訳ないのだけれど、自分の演出とは全然違うんだなと驚いた。私はそもそも他所の稽古現場に行かないので、実際に見て初めて気付く。これも当たり前のことなのかもしれないが、まず、舞台が広い。今回のY2工房さんの公演場所は万代市民会館の多目的ホールなので、当然の結果なのだけれど、私はいわゆる小劇場でしかお芝居を作ってこなかったので、ホールに適した演出の付け方がまるで分からない。役者の動きや、演出の樋口さんのダメ出しを聞いていて「ああ、これがホール芝居かあ」と、ただただ感心していた。すごい。視線の動かし方や見せ方も私とは違う発想で、演出の樋口さんとの価値観の違いを静かに楽しんでいた。自分がホールで芝居を作るときは是非参考にさせてもらおう。
▼ダメ出しの仕方も私とは対照的で面白い。樋口さんは自ら舞台上に入っていって実演を交えながら役者たちに指示したり、一緒にアイデアをもんだりしていた。時折わいわいとした空気を交えながらクリエイティブな議論を交わしていく。私は基本的には座ったまま動かない演出家なので、樋口さんが輝かしく見える。コミュニケーションの量も豊富で、演出と役者の間にしっかりとした繋がりが見えた。羨ましい。
▼私は1時間弱ほどお邪魔させてもらったのだけれど、私がいた間はおそらくクライマックス付近のシーンの稽古で、非常に緊迫感に包まれていた。樋口さんは何度も「もっと遊ぼう」と言って、演技に遊び心を加えようとしていたのだけど、その加わる遊び心でさらに緊迫感が増していっていた。それほど長くないシーンのはずなのだけれど、樋口さんがダメ出しのために芝居を止めるたび、役者の方たちは息が切れている。樋口さんも「水とか飲む?」と気を配っていたのだけれど、「やれます」と返ってきて稽古は続いていく。本番まで2週間弱、身も心も追い込んで、自分の演技をよりよくしようという熱が伝わってきた。ここからもっと魅力的な仕上がりになるに違いない。
▼気が付けばなかなかの長文になってしまった。いかがだっただろうか。宣伝のものとしては、かなり異質な仕上がりになってしまったと思うのだけれど、すぎたにはこういうやつなんで許してください。すぎたに目線で見えた稽古の様子を丹念に書いたので、少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです。
▼Y2工房さんの公演情報は下にtwitterの埋め込みを入れておいたので、そちらから確認してくだされば幸いです。あと、ここまで飽きずに読んでくれたY2工房のファンの方がいましたら、ついでに私事。の公演情報(コチラ)を見ていってくれるととても嬉しいです。お願いします。

Y2工房の樋口さんと2ショットを撮っていただきました!
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26 May

五月二十五日

▼あんまり意識してはないんだけど、今回で第十回公演で、いつの間にか積み重ねてたんだなあと思うこともある。大学3年の冬に旗揚げして、かれこれ7年になる。7年で10回は多いのか少ないのは分からないけど、少なくとも年に1公演はできていたのだから良しとしよう。今日はせっかくの第十回公演というのにかこつけて、「私事。」という名前についてちょっと話したいと思う。実は「私事。」という名前は私が付けたわけではなく、旗揚げからいる劇団員の命名なのだが、私は自分の勝手な解釈でとても気に入っている。その解釈について話すので、もしよかったらお付き合いください。
▼「私事。」の「私」という言葉はなぜ成立するのだろうと考えることがある。世の中に私しかいなければ、私を「私」と呼称する必要はない。だから、私は私でないもの、他者の存在があって初めて成立すると思うのだ。他者、つまり「あなた」という存在がいての「私」ということである。そして、「私ーあなた」という二人以上の個によって生まれるものが、私たちが「社会」と呼ぶものだ。そして、私は「私ーあなた」の"ー"という横棒―紐帯と呼ばれるもの―が狂おしいほどに好きなのだ。私がこれまでやってきた公演は全て「私ーあなた」という紐帯を意識してやってきたつもりである。紐帯は血縁や地縁などから始まり、学校や会社、友人関係、恋愛関係など色々な社会的集合を生み出している。その紐帯によってもたらされるものが何なのか、これを言葉にするのはとても難しい。私はそこに魅力を感じる。
▼「私事。」といえば、「私事ですが、」という常套句がある。大体、結婚や引っ越しましたなど、「私」個人の社会的な変化の報告に使われるものだが、自分たちの公演も割とそのつもりでやっている。私にとって、「私事。」の芝居はどこまでいっても私事の領域を出ないでやっているのだ。気分としては「私事ですが、マイホームが完成しました。お近くにお寄りの際はぜひお立ち寄りください」と言っている感じに近いかもしれない。「私事ですが、」の後に続く出来事は「私」にとっては人生における一大事であることが多いと思うが、あなたにとっては必ずしもそうではないのも分かっている。しかし、「私事ですが、」と前置きしてでもあなたにお伝えしたいことがあって、芝居をつくり、せっせと宣伝活動に勤しむのだ。
▼さて、普段ぼんやりとしか考えてないことをがんばって文章にしたのだが、うまく伝わったのだろうか。なるべく表現を砕きながら書いたつもりだが、いまいちかもしれない。ちゃんと読んでくれた方には苦労をかけたかもしれないが、少しでも楽しんでもらえたのなら嬉しい。ところで、最初に話した紐帯の話で血縁や地縁という言葉を出したが、第十回公演「雨を聴いて眠る」ではもうひとつの「縁」についての物語が繰り広げられる。台詞のワードとしても登場するので、是非その点も注目してほしい。
19 April

四月十九日

▼先日の日曜日に、今回の公演の初の通し稽古を行った。稽古を開始した2月……といいたいが、脚本が完成したのが3月中旬だったので、実質は一カ月ほどの稽古期間だっただろう。稽古の進捗をスケジュール面で支えてくれているやぎぬまくんが厳しく、当初の〆切から設けられた役者の台詞覚えの期限をずらすことなく進めてきた。なので、役者たちには私の遅筆で大変な迷惑をかけたが、無事に初通しまで至れたことは喜ばしいことである。初通しはうまいこといったわけではないが、発見が多く充実したものとなった。実際、通し後のダメ出しを受けてか、昨日の稽古では役者たちの演技に大きな変化が見られて、私は終始笑いながら見ることができた。今週は大きな一歩を踏み出したと言ってよいだろう。
▼さて、前回の日記では「雨を聴いて眠る」の原作、「菊花の約」や、その典拠である「死生交」の話。また「菊花の約」の作者である上田秋成の主知主義についての話を書いた。今回は「菊花の約」の物語の話をしようと思う。「菊花の約」は「死生交」のプロットを採用し、私もまたそれを採用している。つまり、これを知ってしまうと「雨を聴いて眠る」の中盤までのあらすじが露わになってしまうので、そういったものが嫌いな人はここで読むのをやめるのがよいと思う。