忍者ブログ
24 November

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

24 June

六月二十四日

▼先週の火曜日のことになるが、創作表現集団D-Soulさんの稽古を見学に行ってきた。これまで、Y2工房さんやみっくすじゅ~す倶楽部さんの紹介をしたのと同様の流れなのだが、D-Soulさんの公演は私事。と公演日が被っている。残念なことに私は見ることはできないが、観劇を考えている方はぜひ楽しんでほしい。ちなみに、両公演のハシゴを検討している方は、土日とも私事。の14時公演を観て、D-Soulさんの17時公演を観るというルートになるぞ。私事。の公演時間は80分なので、古町から万代に移動して、お茶の一杯くらいは飲めるのではないだろうか。
▼稽古場に入ってまず、驚いた。万代市民会館の大研修室というところでやっていたのだけど、広い部屋を活かして2面で稽古していた。自主練?のような形で、2本立ての芝居(下記の公演情報を参照)を両サイドで分けて、「『普通の愛』~ What is love ? ~」の方はさらに2か所で稽古をしていた。新鮮な絵面で面食らったし、私は聖徳太子ではないので、同時に全部の場面を理解することはできなかった。おとなしくひとつの箇所に意識のベクトルを向けて、何が起きているかを把握するのにつとめた。
▼まずは「『4(for) Angels 』~この世界のどこかで降る雪に~」のチーム(チラシに合わせて青チームと呼んでいるらしい)は、ダンスや歌を織り交ぜながら繰り広げられるようだ。ダンスは情感豊かで魅入ることができるし、歌は私にとっての懐かしの曲などもあって楽しみ所が多そうな舞台になりそうだ。出演者とは全く面識はないのだけれど、毎秋に万代市民会館で開催されている「カルチャーMIX」というイベントでの繋がりらしい。D-Soulさんが「カルチャーMIX」の運営に関わってるからこそ生まれた公演なのだと感じた。
▼「『普通の愛』~ What is love ? ~」は新潟で演劇をやっている役者たちを招いての芝居になるようだ。本間智さん(劇団マジカルラボラトリー)が唯一の男性役者で、「普通の愛」というタイトルから想像するのは難しいことではないのかもしれないが、本間さんが大変なことになっている。私が見学した時は井上 晶子さん(演劇くらぶ葛の葉)とのシーンを稽古していたのだが、井上さんもなかなかに迫力のある演技をしていた。他にも色々なシーンを見て、総合するに、もし私が本間さんの立場に置かれたら、吸ったことのない煙草を吸いに外に逃げ出すだろうなと思った。
▼見学は30分程度だったが、正直、話の全容が見たい。しかし、自分の公演があるので見れない。悔しい。私の代わりにというのはおかしな話かもしれないが、観れない私のために是非観に行ってみてください。でも、もちろん私事。の公演もあるので、そちらも忘れずにお越しいただけるととても嬉しいです。では、来週末を楽しんでいただけることを切に祈っております。

▼公演情報▼
創作表現集団D-Soul 不定期公演
今回は、異なった内容の二本立て公演。人々の心の動きや悩みに真剣に向き合ったお芝居に、D-Soul らしいダンス、歌のテイストを織り交ぜた作品です。
公演日 : 2018年 6月30日 (土)・7月 1日 (日)
時間 : ①13:00~/ ②17:00~ (開場は各回30分前)
会場 : 万代市民会館4F大研修室
チケット : 前売り 一般 1000円 学生 500円 当日 一般 1500円 学生 800円
チケット購入方法 : 下記の問い合わせ先から、または出演者から直接購入する事も出来ます。
問い合わせ : d-soul@love-ism.com 090-2538-3790(渡邊)

『4(for) Angels 』~この世界のどこかで降る雪に~
藤崎 舞 ( S×S )
森野 翠 ( S×S )
晴とワ (うるさい奴ら)
センニイナホ (うるさい奴ら)
司山 園美 ( 創作表現集団D-Soul )
Dance Act
SHOW!国際音楽・ダンス・エンタテイメント専門学校 ダンスエンタテイメント科

『普通の愛』~ What is love ? ~
本間智 (劇団マジカルラボラトリー)
末永 優 (フリー)
井上 晶子 (演劇くらぶ葛の葉)
加藤 妃奈子 (フリー)
司山 園美 ( 創作表現集団 D-Soul )

脚本・演出 Kazuse(二作品とも)
※ 会場には駐車場がございません。近隣の有料駐車場か公共の交通機関機関をご利用下さい
PR
21 June

六月二十一日

▼前に「雨を聴いて眠る」の原作の「菊花の約」のあらすじと、冒頭の詩について紹介する日記を書いた。それについては「四月十九日」の日記を見てほしい。今日はその「菊花の約」の原拠である中国白話小説「范巨卿鷄黍死生交」(『古今小説』第16巻。以降「死生交」)の話をしていきたいと思う。なるべく砕いて話を進めたいが、そもそもがマニアックな話な上に、長くなるので無理に読まなくてもよいと思う。それでは、早速始めよう。
▼まず、「死生交」のあらすじを紹介する。
後漢の時代、張劭(ちょうしょう)という秀才がいた。帝が賢者を求めると言うのを聞いた劭は洛陽を目指して旅立ち、その旅の道中で泊まった宿で、流行り病で苦しむ巨卿(きょけい)に出会う。同じ賢者を目指す巨卿を劭は手厚く看病し、二人は親交を深め、義兄弟の契りを結ぶ。そして、別れの日が重陽の佳節(9月9日)だったので、翌年の同日に劭の家で再会することを約束する。
約束の日。劭は朝から待ったが、夜も更けた後になって巨卿が姿を見せる。そして、巨卿は事情があり、今朝になって今日が約束の日であること思い出したと語りだす。一日では間に合わないと思った巨卿は、妻子に「私をすぐには埋葬せず、劭が訪ねてくるまで待ってほしい」と言い残し、自らの首を刎ね、魂となってやってきたことを明かし、消える。
巨卿の死を嘆いた劭は、巨卿の故郷を訪ねる。そこには巨卿の妻が「夫の棺がピクリとも動かない」と困っていた。劭は巨卿の棺の前に伏して泣き、自らを巨卿と傍らに葬ることを頼み自らの首を刎ねた。
▼さて、「菊花の約」はこの「死生交」を原拠において、そのプロットの多くを採用している。しかし、その中でも上田秋成が「死生交」とは違うものにした点がいくつかある。その点について話して行きたいが、その前に、再開の約束までは概ね同様だと言っていいだろう。もちろん、後漢と江戸の話で国も時代も違うでの、そこからくる違いはあるのだけれど、序盤の「流行り病に倒れ、看病し、義兄弟の契りを結ぶ。そして、重陽の節句に再会することを約束する」という点では両作品は変わらない。
▼中盤の、重陽の節句での再会シーンで、大きな差異がある。それは「死生交」の巨卿と「菊花の約」の武士が約束の日に自らの命を絶ってくることになった状況だ。その状況について比較する。
・「死生交」では「妻子を養うために商いに手を染め、目先のわずかな利益のために季節を気にかける余裕をなくしていた。今朝になって今日が約束の日であることを思い出し、今からでは間に合わないので自刃し、亡霊となる」
・「菊花の約」では「他国への出張中に主君を殺されたのでその復讐をしに帰郷するが、失敗し投獄される。その状態で約束の日を迎えてしまい、このままでは約束を果たせないので自刃し、亡霊となる」
▼両者の自刃の理由には大きな差があるのが分かるだろうか。「死生交」では当日まで約束を忘れており、「菊花の約」では約束の日まで身動きがとれない状況にあるということだ。ここで四月十九日の日記の内容を思い出してほしいのだが、両作品の主題は「信義と軽薄」であるという議論がある。その点において、両者を見てほしい。どこか「死生交」の方が軽薄に思える人が多いのではないだろうか。当日まで約束の日を覚えていた「菊花の約」に比べたら、当日になって思い出した「死生交」が軽く見えてしまうのは自然なことだと思う。これについては「『菊花の約』の方が約束に対する態度が信義に厚く見えるのは日本人的な感覚」という指摘があり、逆に中国の論文では「『死生交』の方が人間として自然であり、当日思い出したからこそ、自刃することに意味がある。『菊花の約』は自ら約束を果たせない状況に陥っている」という指摘もある。さて、あなたにとってはどちらが「信義」だろうか。
▼終盤の展開は全く違う。「死生交」では巨卿の棺の傍らで劭が自刃し、共に埋葬されている。「菊花の約」では、武士に同情した学者が、武士に代わって復讐を果たしに行く。この点に関しては、評価するのが難しい。物語としては「死生交」の方がよくまとまっているという見方があり、「菊花の約」を低く評価するものもある。そもそも、両者を比較して議論するのは間違いだと言う見方もある。「菊花の約」単体で見たときに、何が「信義」で何が「軽薄」かと考えるのが本筋ともいえるのだろう。そして、その「信義と軽薄」論争は闇が深いので割愛する。今日は両作品の差異を分かってもらえればそれでよい。
▼さて、今回は「死生交」と「菊花の約」の関係性についてみてきたが、いかがだっただろうか。専門家からすれば甘い内容だろうけど、そこは多めに見てほしい。上田秋成が「死生交」を踏まえて「菊花の約」を書いたように、私も「雨を聴いて眠る」を二作品を踏まえて脚本にした。だからといってどうなるわけではないが、せっかくなので解説させてもらった。こんなことを知らなくても「雨を聴いて眠る」は楽しめるので、安心してほしい。できることならこの内容は一旦棚にしまって芝居を見てほしいくらいだ。思い出すのは、観劇後に家に帰って布団にもぐってからで十分だろう。
▼予想通り長くなってしまったが、本番まであと8日である。できることは限られているが、最後まで精進を怠らずやって行こうと思う。予約もお待ちしています。下記の私事。のtwitterから予約フォームに行ってくれるのがスムーズだと思います。では。
18 June

六月十八日

▼六月に入ってあっという間に時間が過ぎていく。本番月ということもあり、稽古に裏方の作業にと佳境を迎えていて、ここになかなか手が伸びない。本当は自分の公演の話で書きたいことはあるのだけれど、今日は前回のY2工房さんの紹介に続いて、みっくすじゅ~す倶楽部さんの「Can Girl」の紹介をする。
▼紹介をするとは言ったけれども、私が脚本を提供している公演なので紹介というより宣伝である。私のtwitterでは「Can Girl」と「雨を聴いて眠る」を合わせて、2週連続ですぎたにを楽しめる「プレミアムすぎたにウィーク」と呼んで宣伝している。身内にはとても笑われているが、くくりとしては悪くないと思っている。どうやら、ちゃんとひとつのパッケージとして認識されつつあるようなので、言い続けた甲斐があったというものだ。実は「Can Girl」の初日がもう明後日の20日に迫っている。公演は24日(日)まで続くのだけれど、もし、まだ観劇を悩まれている方がここにいるのであれば、なんとか最後の一押しになれないものかと思って何を書くか悩む。
▼せっかくなので、脚本提供まつわるあれやこれやの話をしよう。事の発端は、私事。の前回公演「月が惑星」の公演期間中、受付に入ってくれたみっくすじゅ~す倶楽部の花野さんから「うちの脚本書かない?」と声を掛けられたことから始まる。これが9月の出来事だ。この時点で、もし書くならという仮定の話をした。みっくすじゅ~す倶楽部さんの公演の方針のようなもので、60~90分で、人が死ななくて、ハッピーエンドであることだそうだ。1つ目はいい。2つ目もまあいい。私事。の脚本は人が死んだり死ななかったりしている。(余談だが、第8回「怪問畸答」では果たして何人死んだことになっていたかな?)ともかく、問題は3つ目だ。ハッピーエンドと一口に言ってしまうのは簡単だが、どうにも私事。で書いてきた脚本はそれに該当しないらしい。私的にはかなり前向きに終わらせているはずなのだけど、どうやらうちの劇団員含め多くの方がそう思ってくれていないので、それはそれとして事実として受け止めている。だが、今回は釘を刺されたかのような「ハッピーエンド」のオーダーだったので、私なりに精一杯応えたつもりだ。だから、あのチラシで元気にジャンプしている彼女たちがどのような結末を迎えるか、ぜひ注目してほしい。仲の良い芝居仲間も「これは珍しく爽やか」と評してくれている。安心していいぞ。
▼「他所の劇団に脚本書くんだね」と、声を掛けられることもしばしばあった。書かないとは言った記憶はないけれども、まあそう思うのは自然なことなので特に不快感はない。この話を受けた理由のひとつは、私事。では書けない物語が書けそうだったからというのがある。私は団体としての私事。をどのようにデザインするかを日々考えている。それに合わせて、脚本や公演を企画している。そのせいか、脚本家としての私は色んなアイデアをひらめいては「これは私事。ではできないな」と思うことも増えてきた。「Can Girl」はそのうちのひとつだ。脚本提供の話がきて、上記の方針を聞いた時、最初に思いついたのがこれだった。かれこれ5年くらいは頭の片隅で温めていた話なので、「Can Girl」が書けると思った時は心が躍ったものである。もし観劇をご予定している方は、そんな私事。らしくない杉谷脚本を存分に堪能してほしいと思っている。
▼みっくすじゅ~す倶楽部さんは不思議な劇団だ。劇団名の通り、毎回いろんな混ざりのある公演を企画している。今回も、座付きの脚本家がいる劇団では実現しない公演だ。まあ、その劇団員や、客演なさる方々の個性が強いので、みっくすじゅ~すというよりサラダボウルと言った方が正しいのではと思わないでもないのだけれど、方々から集まった個性たちがうまく調和して美味しい仕上がりになっていることを期待して、この宣伝を締めようと思う。私も観に行くのが楽しみだ。公演情報は下記にツイートを埋め込んだので、そこから拾ってほしい。ひとりでもこのブログを読んで、観劇を決意することを祈ってます。