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24 November

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15 May

五月十四日

○公演関連の記事が続いて堅苦しくなってきた気もするから、ここで久しぶりに私事な話をしようか。私事になるが、四年ほど乗ってきた車をついに手放すことに決めた。実際に手放すのは月末か来月頭なので、まだしばらくは時間があるけれども、この車を運転する回数もあと僅かだろう。
○出会いは大学四年の初夏。元々は姉が大学に通うのに中古で買ったものだが、その姉が買い換えるというので譲り受けたものだ。中古の中古というわけだな。わはは、相当なベテラン選手だ。免許自体は大学一年の夏休みに地元で取ったきりのペーパーだったが、譲り受けるために帰省し、新潟まで運転してきた。杉谷の地元は福井県なので、まあ大体四百キロほどの距離がある。ペーパーがいきなり四百は不安だと父が助手席に乗って新潟まで来て、電車で帰っていった。他にも散々心配をかけといて言うのもどうかと思うが、心配性の父である。どうかしてるぜ。ちなみにこの時、六時間かかった。車内の音楽は相対性理論だったかな。ちょうど私の中でブームが来ていた時期だ。
○おおっと、出会いだけでそれなりの長さになってしまった。あまり長編にすると読む気も失せるだろうから、今回はこの辺で。続きはまた後日、お楽しみに。
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03 May

五月三日

ぜひ四月一日四月三日の記事もお読みください。

○私事だが、今日はとても暑かったのでクローゼットから扇風機を取り出し、額に冷えピタを貼って過ごした。先日、実家のある福井に車で帰省したので、車体に虫がべったりと付いてしまった。14万キロを超え、帰省で往復1,000キロ弱を走破したマイカーを労おうと洗車にスタンドに向かったが、残念ながらどこも長蛇の列。諦める他なかった連休初日だ。
○さて、今回の公演は、"臼杵は「姫草ユリ子の自殺」について語る"物語であり、臼杵が姫草ユリ子に出会うのが今日、五月三日だ。この日からおよそ半年かけて、臼杵は数奇な出来事に巻き込まれることになる。そんな物語と現実がリンクしたこの日に、また新たな今回の公演をより楽しむための話をしよう。繰り返すが、これはあくまでオマケであり、知らなくたって何の問題もない。
○先月、今回の主人公・臼杵を演じる栁沼がY2工房さんの「hello&ghost(ハローアンドゴースト)」に客演させて頂いた(あれは良い栁沼だった)が、その公演から本公演のカラーチラシを撒かせてもらっている。みなさんのお手元に一枚あるだろうか?……ん、無い? 公演情報に載ってるから目の前の機械でぜひ確認してくれ。今回も多くの方から好評を頂いている公演チラシだが、その細部に目をやってみてもらいたい。これを作った人は「素材なんか丁度いいのが無いから作った」と簡単に言うが、「え、これも作ったの?」と思われる素材は全部そうらしい。いや、着物は違うぞ。そんな揚げ足は取らんでくれ。参ったナア、もう。
○公演チラシを見ていると、まず飛び散った日捲りカレンダーが目に入る。これは四月一日に触れた「日付問題」で、この日記も毎月三日に更新している理由もここにある。私たちは「三日」という日付をあなたに印象つけたいのだ。モチロン、その意図は劇中にも行われる。そして、人物の奥に新聞の切り抜きめいたものがあるのが分かるだろう。よくよく注意すると、劇団員の名前や過去の公演にまつわるメタい単語が見え隠れしているのがお分かりいただけるだろうか。さらに、その中に何箇所か「謎の女」という言葉があることに、あなたは気付くだろう。
○臼杵がユリ子に会う前の三月頃、新聞という新聞に「謎の女」を見出しとする記事が書き立てられていた。

――彼女は警察に「妾(わたし)は只今××の××という家に誘拐、監禁されている無垢の少女です。  只今、魔の手が妾の方へ伸びかかっておりますが、僅かの隙間を見て電話をかけているのです。助けて下さい。助けて下さい。」という意味の、真に迫った、息絶え絶えの声を送って、当局の自動車をとんでもない方向に追いやった。彼女はかようにして、それから度々警察を騒せ、その全てが同じ女だということがわかって、極度に当局を憤慨させ、新聞記者を喜ばせた。

この無鉄砲とも無茶苦茶とも形容できない一種の虚構の天才である「謎の女」は、姫草ユリ子である。そして、そんなことを露とも思わせず彼女は、劇中で臼杵の病院内を飛び回るのだった。

03 April

四月三日

ぜひ四月一日の記事を読んでからお読みください。

○ウン、前回の投稿からモウ二日だ。さっそく一つ目の次回公演をより楽しむための鍵の話をしよう。今回の公演には原作がある。稀代の小説家、夢野久作の『少女地獄』より「何んでも無い」という短編小説を用いている。この作品に夢野久作が用いた手法が今回の公演の出発点なのだ。
○書簡体文学というジャンルがある。馴染みのない方にはイメージつかないかもしれないが、アハハ、なんてことはない手紙のことだ。この原作であるところの「何んでも無い」は、その全てが臼杵利平(演、栁沼佑樹)が白鷹秀麿(演、渡辺ヒロユキ)に宛てた手紙なのだ。いわゆる地の文など一文字もないぞ。それは私にとって、そして公演を観に来てくれるあなたにとって、楽しい事実だ。手紙を演劇に、ステキに愉快な試みだ。
○夢野久作は多才な人物であるが、そのひとつの側面に探偵小説家というものがある。今回の「何んでも無い」が探偵小説かどうかと聞かれれば、アハハもちろんノーだ。しかし、怪奇色強い彼の小説が表題通り、何でも無いワケが無いのだと私は感じたワケだ。モット私が素直なら、この公演は無かっただろうに。
○ミステリーフリークには今更な話をしよう。探偵小説には守らなければならないと言われている二十の原則がある。読者に分かるよう小説の中に全ての手掛かりを残し、非科学的な殺人や推理を用いてはならないなどのものであるが、詳しく知りたい人は調べてみるとよい。「ありふれてつまらないから」という理由で採用されているものもあるぞ。マア、これを破った例外は山ほどあるけどね。
○そういった前提の中で、"臼杵は「姫草ユリ子の自殺」について語る。″ことを、私は揺るぎの無い事実であると認めた。もし、彼を探偵とするのなら、あなたは彼の推理を聞くことになるのだ。あなたが"何が起きたか"を知るに必要な情報を、偽ることなくあなたの前に提示してくれることだろう。ただ、問題はあなたが彼の語りを信用できるかだ。もしかすると、何かの真実を隠すために、彼(もしくは、演出である私)がミスリードをあなたに誘うかもしれない。しかし、安心していいぞ。私はそれを判断するのに必要な手掛かりを、あなたの前に提示することを約束しようじゃあないか。そういう意味で、今回の公演はミステリーな要素が多分にある。お楽しみに。