14 August 八月十三日 ▼世間はお盆だが、帰省していない。残念なことにお盆休みはなく、一昨日と今日の日祝が休みだったので連休ですらない。いや、別に連休がないことに不満はないのだけど、私の実家は福井県なので電車を乗り継いで都合5時間ほどかかる。朝に出ても昼過ぎに着くので、実家に帰るには三連休は欲しい。そんなことを思いながら、涼しい部屋で甲子園を観ながら公演の準備に勤しむのだ。▼気がつけば「月が惑星」の本番まで1ヶ月を切った。きっとそろそろ来月の予定を立て始めるだろうと思うので、何かそのキッカケになれるようなことを書こうと思う。あいも変わらず文章だけで進むし、内容もちょっとクドくもあるがよければお付き合い下さい。さあて、問題は何を書くかなのだけれど、まずはちょっとした昔話をしよう。▼昔といっても数年前の話だが、私は公演直前に公演の見所などについてインタビュー的なものを受けたことがあった。その時、「どんな人に見て欲しいか」という質問を受けて、言葉に詰まったことがある。どんな人と言われても、こちらは観に来てくれる方を取捨選択する権利は無く、どんな人にも観に来て欲しいと思ったのだ。だから言葉に詰まった。それはそれで間違いでは無いが、この質問の真意はそこには無いと今では思っている。▼「月が惑星」の物語は家族の物語である。親がいて、子どもがいる。そして、ありがちなテーマであるが「自立」というのが大きな軸になっている。主人公の年齢は23歳だ。大学を出て、働き始めたばかりである。私は今26歳だが、ここまで生きてきて、高校入学(この時に問われるのはむしろ「自律」のように思う)と、高校卒業、成人式などの節目で問われる「自立」、そして就職以降で問われるソレとは意味合いが異なると思ったのが、全ての始まりだ。そして20代で問われるこの問題は10代で問われるものより、ちょいと複雑であり個々人によってバラバラだとも思う。そして、そんな中の一破片を物語として仕立て上げたのが「月が惑星」なのだ。▼さて、今回の物語の骨子について語ったところで、私がこの物語を「どんな人に見て欲しいか」という問いに戻ろう。答えはいくつもある。まずは何より私と同じ20代の人に見て欲しい。主人公と同じではなくとも、似たような葛藤を持ったこと、持ちうる可能性がある人は多いと思う。是非、主人公の目線になって見て欲しい。それから、これから20代になる10代の方にも見て欲しい。私が10代の頃にはカケラも悩まなかったことで主人公は悩んでいる。そして、この物語は親と子どもをめぐる話だと言った。つまり、主人公の親がもう1人の主人公たりうる存在として登場する。だから、20代の子を持つ親世代である40〜50代の方にも見て欲しい。間が抜けたが、30代の方にもモチロン見て欲しい。20代の葛藤を経たからこそ見えてくるものがあるかもしれない。私にはまだ見えない景色が見えたのなら、是非私に教えて欲しいとも思う。60代以降の方にも見て欲しい。前回も触れたが、この10年で家族の形態は変化している。現代家族と私が評しているその構造を是非とも楽しんで欲しい。現代の選択肢は多様なので、人の親にならない選択をしている人も多いと思う。そんな方にも見て欲しい。親と子という関係を超えて、私は「月が惑星」というタイトルを呼称するに相応しいテーマを物語に与えた。それは普遍的なものであると信じている。その点を是非とも楽しんでもらいたい。▼長々と書いた上に問いの前に戻るが、つまりはどんな人にも見て欲しいのだ。しかし、見る人の年齢や立場によって、この物語の見え方はバラバラになるだろう。人によっては誇張されたフィクションに見えるかもしれないし、またある人にとってはドキュメンタリーに見えるかもしれない。そんな可能性を秘めているからこそ、この物語は魅力があると思う。▼ここまで読んでくれてありがとうございます。この記事にどこかしらで共感なり反感を抱いていただけたのなら、是非とも9月8日〜10日に「月が惑星」を上演しますので足をお運びいただけたら幸いです。予約フォームは下記に。それでは、会場でお会いしましょう。▼予約はこちらhttps://form1ssl.fc2.com/form/?id=21725381649c5c16&viewmode=pc PR