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24 November

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19 April

四月十九日

▼先日の日曜日に、今回の公演の初の通し稽古を行った。稽古を開始した2月……といいたいが、脚本が完成したのが3月中旬だったので、実質は一カ月ほどの稽古期間だっただろう。稽古の進捗をスケジュール面で支えてくれているやぎぬまくんが厳しく、当初の〆切から設けられた役者の台詞覚えの期限をずらすことなく進めてきた。なので、役者たちには私の遅筆で大変な迷惑をかけたが、無事に初通しまで至れたことは喜ばしいことである。初通しはうまいこといったわけではないが、発見が多く充実したものとなった。実際、通し後のダメ出しを受けてか、昨日の稽古では役者たちの演技に大きな変化が見られて、私は終始笑いながら見ることができた。今週は大きな一歩を踏み出したと言ってよいだろう。
▼さて、前回の日記では「雨を聴いて眠る」の原作、「菊花の約」や、その典拠である「死生交」の話。また「菊花の約」の作者である上田秋成の主知主義についての話を書いた。今回は「菊花の約」の物語の話をしようと思う。「菊花の約」は「死生交」のプロットを採用し、私もまたそれを採用している。つまり、これを知ってしまうと「雨を聴いて眠る」の中盤までのあらすじが露わになってしまうので、そういったものが嫌いな人はここで読むのをやめるのがよいと思う。



▼では、知りたがりの物好きなあなたのためにさっそく始めよう。まず初めに、「菊花の約」のあらすじを紹介する。
「真の友情は互いの危機において試される。清貧に甘んじ学問に専心する学者がいた。支えるのは母一人である。ある日この男は、旅の途中で疫病にかかり治療も受けられずにいる武士を助けた。武士は感激し、回復してから二人はあれこれと話し合ううち、人柄の上でも学問についても意気投合、たちまち義兄弟の契りを結ぶ。武士は、他国へ出張中に主君を殺され、その復讐を期して故国へ帰る途中に病に倒れたので、本望を遂げるため帰郷せねばならない。学者の方はわずかな別れも惜しみ、九月九日の菊の節句を、再開の日と固く約束した。さて、約束の日も深夜になって、武士はやってきた。待ち焦がれていた学者は、喜んでもてなそうとするが、武士には深刻な事情があるようで、黙り込むばかりである。――人は己れを知る者のために死ぬ、という言葉がある。二人の友情はそれを地でいくものであった。」角川ソフィア文庫「改訂版 雨月物語」(上田秋成/訳注:鵜月洋)より。
九月九日に再会することを約束した武士は、復讐に失敗し投獄される。約束の日に来ることが不可能になった武士は自らの命を絶ち、約束を果たすために亡霊となって学者に会いに来るのであった。「菊花の約」は自死してまで約束を守るという二人の男の信義の物語として秀逸に描かれいる。ここまでの展開は典拠である「死生交」と概ね同じある。これ以降の展開は、亡霊となった武士の最期の話を聞いた学者が、武士に代わって復讐を果たすことになる。この展開は「死生交」にはないもので上田秋成のオリジナルである。中盤までの展開にもいくつかの差異があるが、「死生交」についてはまた別の機会に触れていこうと思うのでここでは割愛する。
▼今日はもうひとつ紹介したいものがある。「菊花の約」の出だしで、「死生交」の出だしでもある文章である。
青々たる春の柳、家園に種ゆることなかれ。交りは軽薄の人と結ぶことなかれ。楊柳茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐へめや。軽薄の人は交りやすくして亦速なり。楊柳いくたび春に染むれども、軽薄の人は絶えて訪ふ日なし。
簡単に現代語訳をするなら、「春に青々と若葉を茂らせる柳は家の庭には植えてはいけない。それと同じように、人付き合いは軽薄な人とは結んではならない。柳はすぐ生い茂るけれども、秋になれば秋風でたちまち散ってしまう。同様に、軽薄な人は人付き合いしやすいが、関係が絶えてしまうのも早い。まだ柳の方は春が来れば再び葉を新緑に染めるけれども、軽薄な人は二度と訪ねてくることはない。」ということだ。「死生交」で書かれたものを「菊花の約」でも引用した点を踏まえれば、この詩が主題のひとつだと言えよう。「信義と軽薄」という対立軸がこの物語を魅力的にし、かつ現代にまで解釈の論争を巻き起こしている原因となっていることを示して、今日は終わろうと思う。
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