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24 November

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26 May

五月二十五日

▼あんまり意識してはないんだけど、今回で第十回公演で、いつの間にか積み重ねてたんだなあと思うこともある。大学3年の冬に旗揚げして、かれこれ7年になる。7年で10回は多いのか少ないのは分からないけど、少なくとも年に1公演はできていたのだから良しとしよう。今日はせっかくの第十回公演というのにかこつけて、「私事。」という名前についてちょっと話したいと思う。実は「私事。」という名前は私が付けたわけではなく、旗揚げからいる劇団員の命名なのだが、私は自分の勝手な解釈でとても気に入っている。その解釈について話すので、もしよかったらお付き合いください。
▼「私事。」の「私」という言葉はなぜ成立するのだろうと考えることがある。世の中に私しかいなければ、私を「私」と呼称する必要はない。だから、私は私でないもの、他者の存在があって初めて成立すると思うのだ。他者、つまり「あなた」という存在がいての「私」ということである。そして、「私ーあなた」という二人以上の個によって生まれるものが、私たちが「社会」と呼ぶものだ。そして、私は「私ーあなた」の"ー"という横棒―紐帯と呼ばれるもの―が狂おしいほどに好きなのだ。私がこれまでやってきた公演は全て「私ーあなた」という紐帯を意識してやってきたつもりである。紐帯は血縁や地縁などから始まり、学校や会社、友人関係、恋愛関係など色々な社会的集合を生み出している。その紐帯によってもたらされるものが何なのか、これを言葉にするのはとても難しい。私はそこに魅力を感じる。
▼「私事。」といえば、「私事ですが、」という常套句がある。大体、結婚や引っ越しましたなど、「私」個人の社会的な変化の報告に使われるものだが、自分たちの公演も割とそのつもりでやっている。私にとって、「私事。」の芝居はどこまでいっても私事の領域を出ないでやっているのだ。気分としては「私事ですが、マイホームが完成しました。お近くにお寄りの際はぜひお立ち寄りください」と言っている感じに近いかもしれない。「私事ですが、」の後に続く出来事は「私」にとっては人生における一大事であることが多いと思うが、あなたにとっては必ずしもそうではないのも分かっている。しかし、「私事ですが、」と前置きしてでもあなたにお伝えしたいことがあって、芝居をつくり、せっせと宣伝活動に勤しむのだ。
▼さて、普段ぼんやりとしか考えてないことをがんばって文章にしたのだが、うまく伝わったのだろうか。なるべく表現を砕きながら書いたつもりだが、いまいちかもしれない。ちゃんと読んでくれた方には苦労をかけたかもしれないが、少しでも楽しんでもらえたのなら嬉しい。ところで、最初に話した紐帯の話で血縁や地縁という言葉を出したが、第十回公演「雨を聴いて眠る」ではもうひとつの「縁」についての物語が繰り広げられる。台詞のワードとしても登場するので、是非その点も注目してほしい。
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