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03 May

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21 June

六月二十一日

▼前に「雨を聴いて眠る」の原作の「菊花の約」のあらすじと、冒頭の詩について紹介する日記を書いた。それについては「四月十九日」の日記を見てほしい。今日はその「菊花の約」の原拠である中国白話小説「范巨卿鷄黍死生交」(『古今小説』第16巻。以降「死生交」)の話をしていきたいと思う。なるべく砕いて話を進めたいが、そもそもがマニアックな話な上に、長くなるので無理に読まなくてもよいと思う。それでは、早速始めよう。
▼まず、「死生交」のあらすじを紹介する。
後漢の時代、張劭(ちょうしょう)という秀才がいた。帝が賢者を求めると言うのを聞いた劭は洛陽を目指して旅立ち、その旅の道中で泊まった宿で、流行り病で苦しむ巨卿(きょけい)に出会う。同じ賢者を目指す巨卿を劭は手厚く看病し、二人は親交を深め、義兄弟の契りを結ぶ。そして、別れの日が重陽の佳節(9月9日)だったので、翌年の同日に劭の家で再会することを約束する。
約束の日。劭は朝から待ったが、夜も更けた後になって巨卿が姿を見せる。そして、巨卿は事情があり、今朝になって今日が約束の日であること思い出したと語りだす。一日では間に合わないと思った巨卿は、妻子に「私をすぐには埋葬せず、劭が訪ねてくるまで待ってほしい」と言い残し、自らの首を刎ね、魂となってやってきたことを明かし、消える。
巨卿の死を嘆いた劭は、巨卿の故郷を訪ねる。そこには巨卿の妻が「夫の棺がピクリとも動かない」と困っていた。劭は巨卿の棺の前に伏して泣き、自らを巨卿と傍らに葬ることを頼み自らの首を刎ねた。
▼さて、「菊花の約」はこの「死生交」を原拠において、そのプロットの多くを採用している。しかし、その中でも上田秋成が「死生交」とは違うものにした点がいくつかある。その点について話して行きたいが、その前に、再開の約束までは概ね同様だと言っていいだろう。もちろん、後漢と江戸の話で国も時代も違うでの、そこからくる違いはあるのだけれど、序盤の「流行り病に倒れ、看病し、義兄弟の契りを結ぶ。そして、重陽の節句に再会することを約束する」という点では両作品は変わらない。
▼中盤の、重陽の節句での再会シーンで、大きな差異がある。それは「死生交」の巨卿と「菊花の約」の武士が約束の日に自らの命を絶ってくることになった状況だ。その状況について比較する。
・「死生交」では「妻子を養うために商いに手を染め、目先のわずかな利益のために季節を気にかける余裕をなくしていた。今朝になって今日が約束の日であることを思い出し、今からでは間に合わないので自刃し、亡霊となる」
・「菊花の約」では「他国への出張中に主君を殺されたのでその復讐をしに帰郷するが、失敗し投獄される。その状態で約束の日を迎えてしまい、このままでは約束を果たせないので自刃し、亡霊となる」
▼両者の自刃の理由には大きな差があるのが分かるだろうか。「死生交」では当日まで約束を忘れており、「菊花の約」では約束の日まで身動きがとれない状況にあるということだ。ここで四月十九日の日記の内容を思い出してほしいのだが、両作品の主題は「信義と軽薄」であるという議論がある。その点において、両者を見てほしい。どこか「死生交」の方が軽薄に思える人が多いのではないだろうか。当日まで約束の日を覚えていた「菊花の約」に比べたら、当日になって思い出した「死生交」が軽く見えてしまうのは自然なことだと思う。これについては「『菊花の約』の方が約束に対する態度が信義に厚く見えるのは日本人的な感覚」という指摘があり、逆に中国の論文では「『死生交』の方が人間として自然であり、当日思い出したからこそ、自刃することに意味がある。『菊花の約』は自ら約束を果たせない状況に陥っている」という指摘もある。さて、あなたにとってはどちらが「信義」だろうか。
▼終盤の展開は全く違う。「死生交」では巨卿の棺の傍らで劭が自刃し、共に埋葬されている。「菊花の約」では、武士に同情した学者が、武士に代わって復讐を果たしに行く。この点に関しては、評価するのが難しい。物語としては「死生交」の方がよくまとまっているという見方があり、「菊花の約」を低く評価するものもある。そもそも、両者を比較して議論するのは間違いだと言う見方もある。「菊花の約」単体で見たときに、何が「信義」で何が「軽薄」かと考えるのが本筋ともいえるのだろう。そして、その「信義と軽薄」論争は闇が深いので割愛する。今日は両作品の差異を分かってもらえればそれでよい。
▼さて、今回は「死生交」と「菊花の約」の関係性についてみてきたが、いかがだっただろうか。専門家からすれば甘い内容だろうけど、そこは多めに見てほしい。上田秋成が「死生交」を踏まえて「菊花の約」を書いたように、私も「雨を聴いて眠る」を二作品を踏まえて脚本にした。だからといってどうなるわけではないが、せっかくなので解説させてもらった。こんなことを知らなくても「雨を聴いて眠る」は楽しめるので、安心してほしい。できることならこの内容は一旦棚にしまって芝居を見てほしいくらいだ。思い出すのは、観劇後に家に帰って布団にもぐってからで十分だろう。
▼予想通り長くなってしまったが、本番まであと8日である。できることは限られているが、最後まで精進を怠らずやって行こうと思う。予約もお待ちしています。下記の私事。のtwitterから予約フォームに行ってくれるのがスムーズだと思います。では。
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