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24 November

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18 June

六月十八日

▼六月に入ってあっという間に時間が過ぎていく。本番月ということもあり、稽古に裏方の作業にと佳境を迎えていて、ここになかなか手が伸びない。本当は自分の公演の話で書きたいことはあるのだけれど、今日は前回のY2工房さんの紹介に続いて、みっくすじゅ~す倶楽部さんの「Can Girl」の紹介をする。
▼紹介をするとは言ったけれども、私が脚本を提供している公演なので紹介というより宣伝である。私のtwitterでは「Can Girl」と「雨を聴いて眠る」を合わせて、2週連続ですぎたにを楽しめる「プレミアムすぎたにウィーク」と呼んで宣伝している。身内にはとても笑われているが、くくりとしては悪くないと思っている。どうやら、ちゃんとひとつのパッケージとして認識されつつあるようなので、言い続けた甲斐があったというものだ。実は「Can Girl」の初日がもう明後日の20日に迫っている。公演は24日(日)まで続くのだけれど、もし、まだ観劇を悩まれている方がここにいるのであれば、なんとか最後の一押しになれないものかと思って何を書くか悩む。
▼せっかくなので、脚本提供まつわるあれやこれやの話をしよう。事の発端は、私事。の前回公演「月が惑星」の公演期間中、受付に入ってくれたみっくすじゅ~す倶楽部の花野さんから「うちの脚本書かない?」と声を掛けられたことから始まる。これが9月の出来事だ。この時点で、もし書くならという仮定の話をした。みっくすじゅ~す倶楽部さんの公演の方針のようなもので、60~90分で、人が死ななくて、ハッピーエンドであることだそうだ。1つ目はいい。2つ目もまあいい。私事。の脚本は人が死んだり死ななかったりしている。(余談だが、第8回「怪問畸答」では果たして何人死んだことになっていたかな?)ともかく、問題は3つ目だ。ハッピーエンドと一口に言ってしまうのは簡単だが、どうにも私事。で書いてきた脚本はそれに該当しないらしい。私的にはかなり前向きに終わらせているはずなのだけど、どうやらうちの劇団員含め多くの方がそう思ってくれていないので、それはそれとして事実として受け止めている。だが、今回は釘を刺されたかのような「ハッピーエンド」のオーダーだったので、私なりに精一杯応えたつもりだ。だから、あのチラシで元気にジャンプしている彼女たちがどのような結末を迎えるか、ぜひ注目してほしい。仲の良い芝居仲間も「これは珍しく爽やか」と評してくれている。安心していいぞ。
▼「他所の劇団に脚本書くんだね」と、声を掛けられることもしばしばあった。書かないとは言った記憶はないけれども、まあそう思うのは自然なことなので特に不快感はない。この話を受けた理由のひとつは、私事。では書けない物語が書けそうだったからというのがある。私は団体としての私事。をどのようにデザインするかを日々考えている。それに合わせて、脚本や公演を企画している。そのせいか、脚本家としての私は色んなアイデアをひらめいては「これは私事。ではできないな」と思うことも増えてきた。「Can Girl」はそのうちのひとつだ。脚本提供の話がきて、上記の方針を聞いた時、最初に思いついたのがこれだった。かれこれ5年くらいは頭の片隅で温めていた話なので、「Can Girl」が書けると思った時は心が躍ったものである。もし観劇をご予定している方は、そんな私事。らしくない杉谷脚本を存分に堪能してほしいと思っている。
▼みっくすじゅ~す倶楽部さんは不思議な劇団だ。劇団名の通り、毎回いろんな混ざりのある公演を企画している。今回も、座付きの脚本家がいる劇団では実現しない公演だ。まあ、その劇団員や、客演なさる方々の個性が強いので、みっくすじゅ~すというよりサラダボウルと言った方が正しいのではと思わないでもないのだけれど、方々から集まった個性たちがうまく調和して美味しい仕上がりになっていることを期待して、この宣伝を締めようと思う。私も観に行くのが楽しみだ。公演情報は下記にツイートを埋め込んだので、そこから拾ってほしい。ひとりでもこのブログを読んで、観劇を決意することを祈ってます。

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29 May

五月二十九日

▼今日は劇団私事。と同じく、新潟市で活動するY2工房さんの稽古場にお邪魔してきた。というのも、ただただ遊びにいったのではなく、これには前段がある。数か月前のことだが、私事。の公演を企画している段階で、創作表現集団D-Soulさんと僕が脚本を提供したみっくすじゅ~す倶楽部さん含め、万代市民会館で日々稽古に励んでいる4団体の公演が6月中に重なってしまった。なので、少しでもより多くの人に観に来てもらうキッカケ作りとして協力できないかと言う話になり、互いの稽古場に遊びに行って宣伝をしようということになったのだ。そして、その4団体で先頭打者となるY2工房さんの公演『嘘で本当の友情と3人の悪』が来週末(6月9日~10日)に迫っているので、こうして私事。のすぎたにのブログを読んでくれる方に、少しでもY2工房さんの公演に足を運ぶ一助となれるようブログをしたためるのである。また、きっとtwitterなどからY2工房さんのファンの方がここにたどり着く可能性もあるので、そういう方はこの日記が面白いと思ったなら是非、今月末の劇団私事。の公演も観に来てほしい。前置きが長くなったが、それでは始めよう。
▼私はY2工房さんのお芝居は観たことがあるが、稽古場にお邪魔するのは初めてだった。私事。のやぎぬまが過去に客演したり、代表の樋口さんには何かと気を遣って頂いているので、ご縁はもともとあったのだが、こうして稽古場に入るのはいささか緊張した。しかし、その緊張をよそにY2工房のみなさまは温かく迎え入れて下さり、恐縮しながら邪魔にならないよう壁際に腰かけた。稽古をつけているシーンはどう見てもクライマックス付近で、役者の方たちからも気合と熱が伝わってくる。
▼当たり前のことを書いて申し訳ないのだけれど、自分の演出とは全然違うんだなと驚いた。私はそもそも他所の稽古現場に行かないので、実際に見て初めて気付く。これも当たり前のことなのかもしれないが、まず、舞台が広い。今回のY2工房さんの公演場所は万代市民会館の多目的ホールなので、当然の結果なのだけれど、私はいわゆる小劇場でしかお芝居を作ってこなかったので、ホールに適した演出の付け方がまるで分からない。役者の動きや、演出の樋口さんのダメ出しを聞いていて「ああ、これがホール芝居かあ」と、ただただ感心していた。すごい。視線の動かし方や見せ方も私とは違う発想で、演出の樋口さんとの価値観の違いを静かに楽しんでいた。自分がホールで芝居を作るときは是非参考にさせてもらおう。
▼ダメ出しの仕方も私とは対照的で面白い。樋口さんは自ら舞台上に入っていって実演を交えながら役者たちに指示したり、一緒にアイデアをもんだりしていた。時折わいわいとした空気を交えながらクリエイティブな議論を交わしていく。私は基本的には座ったまま動かない演出家なので、樋口さんが輝かしく見える。コミュニケーションの量も豊富で、演出と役者の間にしっかりとした繋がりが見えた。羨ましい。
▼私は1時間弱ほどお邪魔させてもらったのだけれど、私がいた間はおそらくクライマックス付近のシーンの稽古で、非常に緊迫感に包まれていた。樋口さんは何度も「もっと遊ぼう」と言って、演技に遊び心を加えようとしていたのだけど、その加わる遊び心でさらに緊迫感が増していっていた。それほど長くないシーンのはずなのだけれど、樋口さんがダメ出しのために芝居を止めるたび、役者の方たちは息が切れている。樋口さんも「水とか飲む?」と気を配っていたのだけれど、「やれます」と返ってきて稽古は続いていく。本番まで2週間弱、身も心も追い込んで、自分の演技をよりよくしようという熱が伝わってきた。ここからもっと魅力的な仕上がりになるに違いない。
▼気が付けばなかなかの長文になってしまった。いかがだっただろうか。宣伝のものとしては、かなり異質な仕上がりになってしまったと思うのだけれど、すぎたにはこういうやつなんで許してください。すぎたに目線で見えた稽古の様子を丹念に書いたので、少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです。
▼Y2工房さんの公演情報は下にtwitterの埋め込みを入れておいたので、そちらから確認してくだされば幸いです。あと、ここまで飽きずに読んでくれたY2工房のファンの方がいましたら、ついでに私事。の公演情報(コチラ)を見ていってくれるととても嬉しいです。お願いします。

Y2工房の樋口さんと2ショットを撮っていただきました!
26 May

五月二十五日

▼あんまり意識してはないんだけど、今回で第十回公演で、いつの間にか積み重ねてたんだなあと思うこともある。大学3年の冬に旗揚げして、かれこれ7年になる。7年で10回は多いのか少ないのは分からないけど、少なくとも年に1公演はできていたのだから良しとしよう。今日はせっかくの第十回公演というのにかこつけて、「私事。」という名前についてちょっと話したいと思う。実は「私事。」という名前は私が付けたわけではなく、旗揚げからいる劇団員の命名なのだが、私は自分の勝手な解釈でとても気に入っている。その解釈について話すので、もしよかったらお付き合いください。
▼「私事。」の「私」という言葉はなぜ成立するのだろうと考えることがある。世の中に私しかいなければ、私を「私」と呼称する必要はない。だから、私は私でないもの、他者の存在があって初めて成立すると思うのだ。他者、つまり「あなた」という存在がいての「私」ということである。そして、「私ーあなた」という二人以上の個によって生まれるものが、私たちが「社会」と呼ぶものだ。そして、私は「私ーあなた」の"ー"という横棒―紐帯と呼ばれるもの―が狂おしいほどに好きなのだ。私がこれまでやってきた公演は全て「私ーあなた」という紐帯を意識してやってきたつもりである。紐帯は血縁や地縁などから始まり、学校や会社、友人関係、恋愛関係など色々な社会的集合を生み出している。その紐帯によってもたらされるものが何なのか、これを言葉にするのはとても難しい。私はそこに魅力を感じる。
▼「私事。」といえば、「私事ですが、」という常套句がある。大体、結婚や引っ越しましたなど、「私」個人の社会的な変化の報告に使われるものだが、自分たちの公演も割とそのつもりでやっている。私にとって、「私事。」の芝居はどこまでいっても私事の領域を出ないでやっているのだ。気分としては「私事ですが、マイホームが完成しました。お近くにお寄りの際はぜひお立ち寄りください」と言っている感じに近いかもしれない。「私事ですが、」の後に続く出来事は「私」にとっては人生における一大事であることが多いと思うが、あなたにとっては必ずしもそうではないのも分かっている。しかし、「私事ですが、」と前置きしてでもあなたにお伝えしたいことがあって、芝居をつくり、せっせと宣伝活動に勤しむのだ。
▼さて、普段ぼんやりとしか考えてないことをがんばって文章にしたのだが、うまく伝わったのだろうか。なるべく表現を砕きながら書いたつもりだが、いまいちかもしれない。ちゃんと読んでくれた方には苦労をかけたかもしれないが、少しでも楽しんでもらえたのなら嬉しい。ところで、最初に話した紐帯の話で血縁や地縁という言葉を出したが、第十回公演「雨を聴いて眠る」ではもうひとつの「縁」についての物語が繰り広げられる。台詞のワードとしても登場するので、是非その点も注目してほしい。