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17 May

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25 March

三月二十四日

▼今日は稽古もなく、夜に余裕があったので日記でも書こうとしたが、2時間ほど格闘したすえにその内容をお蔵入りにした。まあ、内容を小難しくしすぎたせいなので、もう少し余裕のある時に手直して何とか形にしたいと思う。そして、それで終わるのは悔しいので、日付が変わったのにもかかわらず、こうやって日記を書き直している。
▼今日は、私が脚本の題材を選ぶ際のポイントについて話そうと思う。これまで私事。の脚本は第二回以降全て自分が書いているのだが、なぜそれを選んだのかについてはあまり語ったことが無い。さすがに全ての作品について説明するのは骨が折れるので、特徴的ないくつかの作品について触れていこうと思う。
▼私が脚本にしようと思う対象の基準は、そこに"余白"があるかどうかだ。それをこれから具体的な作品例をあげて示していこう。
・第五回公演「五徳喚者―ゴトクカンジャ―」は、夏目漱石の未完のまま終わった最後の作品「明暗」を原作においている。未完であるがゆえに、水村美苗著「続明暗」や永井愛著「新・明暗」などの名作を生んでいる。そして、私もこの作品の結末に興味があったのだ。登場人物や時代設定などはオリジナルだったが、原作と同じプロットの上を走ることで、その線路の向こうには何があるのだろうという好奇心によって書かれた作品である。

・第九回公演「怪問畸答―何ンデモ無ヒ―」は、夢野久作の『少女地獄』より「何んでも無い」を原作にした作品だ。登場人物に多少の変更は加えたが、時代はそのままに翻案した作品である。これは原作が全て臼杵先生による手紙という書簡体形式がとられた作品だ。つまり、全てが主人公、臼杵による主観によるもので、小説の中に客観的事実がひとつも保障されていない。私はその点に"余白"を感じ、舞台にすることで観客という目撃者を確保し、私の思う客観的事実を創作した。余談だが、この作品のアンケートに「現代に直してもよかったのでは」というものがあったが、この作品のプロットの肝となる部分が情報化社会と化した現代では成立しないと結論付けてあのようにした。

・ハナシの種vol.1「トんだ未来」は番外的に行われた短編戯曲集だ。これは今流行りの"AI"をテーマに書いた作品群だが、実は"余白"という点でうまくいったとは言い切れない。AIは急加速しているジャンルなので、その"余白"は大きく存在すると思っているのだが、創作においては昔から手の付けられてきたものでもある。実際に、この公演を観て頂いた脚本演出家のNさんは「もっと手垢のついていないものが見たかった」と残している。私もその点に注力したが、今一歩及ばなかった。しかし、私はまだこのジャンルを諦められないので、いつかリベンジしたい。ここでも余談だが、私の好きな将棋ソフト開発者は「現代人に求められるのは、抽象的な事象を実際に計算可能な領域に変換すること」と言っていた。私たち人間には、未知なる"余白"を秘めており、それを表現というかたちで変換することが私の役割だと信じている。

▼三作品について書いただけでそれなりに疲れてしまったが、要点は掴めてもらえただろうか。そう信じて、次の第十回公演について触れていく。「雨を聴いて眠る」は、上田秋成の『雨月物語』より「菊花の約」を原作においている。そして、この「菊花の約」がくせ者なのだ。『雨月物語』は近世日本文学を代表する作品で、中でも「菊花の約」は文学界でも研究史が豊富な作品である。しかし、豊富であるがゆえに、現代にいたってもその主題についての解釈が定まっていない作品でもある。私はそこに"余白"を感じ、今回の原作に採用したのだ。その具体的な内容については追々触れていこうと思うが、かなり内容がハードになると思う。どうかお付き合いいただくか、そっと無視してほしい。稽古の様子や、舞台の見所は私事。のtwitterを見るといいだろう。こっちでは存在するか分からないニッチな需要に応えていく。
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