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17 May

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24 April

四月二十四日

▼一昨日に初めて自作の短歌10首をまとめた短歌集「逆裏対偶」をこの日記にアップした。もし、未読な方が是非そちらを読んでくれると嬉しい。

四月二十二日。短歌10首「逆裏対偶」

今日はそのあとがき的なものを書きたいと思うので、よろしければお付き合いください。

▼僕は昔から俳句や短歌というものは苦手意識があった。中学、高校の古文は好きだったが、こと歌が絡むと途端に点数が取れなかった。さまざまな意味合いを17文字や31文字に凝縮しているのを汲み取ることができなかったのだ。そこから今に至るまでずっと嫌厭していたジャンルとして、根深く残り続けていた。
▼ところで、私は劇団私事。の脚本を第二回公演以降ずっと書いているが、自分の脚本への理解として「脚本は構成と詩行」だと思っている。そして、向き不向きで言えば、私は「構成」の方に寄っている脚本家だと自分で評価している。私は脚本の中で、プロットに重きを置いていると言えば分かってもらえるだろうか。因果関係やキャラクター造形がうまくいけば台詞も自然の生きたものになってくると信じて書いている。しかし、たまに「詩行」が優れた脚本を目にすると悔しい気持ちになる。「詩行」とは端的に言えば「台詞」のことだ。他人の芝居を観ていて、なんて魅力あふれる台詞を書くんだと震えることがある。リズムに富み、比喩や暗喩が豊かで、耳が心地よい。どうやったらそんな台詞を書けるんだと思ってしまう。ある分野では「演劇は耳で、映画は目で、小説は心で楽しむ」という考え方がある。そう言われるだけあって、演劇においての台詞のウエイトは重い。どこかの通信教育みたいなことをいうが、やはり弱点は克服していかないとという思いはずっとあった。
▼そして、短歌を書こうと思ったきっかけは、ある日twitterのRTで回ってきた短歌が面白く、その人の短歌集を買ったのが始まりだろう。目で見て、音で聴いて、意味を想像して、何と素晴らしいものなのだと驚嘆した記憶がある。それで、ふとした暇な時間に自分も考えてみるのも良いかと思って、3月下旬ころからスマホのメモ帳にほそぼそと書き溜め始めたのだ。
▼10首書き終えての感想だが、最初に話した通り苦手意識のあった短歌でも、存外楽しめて自分でも驚いている。そして、1首作るのに色んなことを考えるものだと思った。57577で心地の良いリズムや状況を限定しない文言から基本的な「てにをは」に至るまで、1文字単位でこだわることができた。客観的な評価は分からないが、その行為自体が自分にとっては財産となったと思う。劇団員など身近な人に直接感想を言わせたりしたが、「脚本やこの日記とは違って文体が柔らかく受け取りやすい。あと、無駄に女子力を感じる。」と言われた。後半はともかく、私の短歌に親しみを感じてくれるならそれ以上に嬉しいことは無い。まだ上手いと言わせられるようなものはできないかもしれないが、できれば継続してまたスマホにポチポチとためていこうと思うので、よかったら今後ともよろしくお願いします。
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